一ツ橋⑤  世界各国で一見類似している生活感覚でも、
 世界各国で一見類似している生活感覚でも、内容に立ち入っていくと、かなりの相違が見られることは、文化人類学の明らかにするところである。その生活感覚が、相互間の影響や技術の進歩によってどうなるのかは、誠に興味深い文化的な大きな課題である。
 そこで気がつくことの第一は、清潔感の問題である。その清潔感は、各人各様でそれぞれ違いがあるのは当然だし、民族間でもかなり大きなへだたりがあるのも事実であろう。わが国は清潔感について、一人ひとりが比較的鋭い感覚を持ち、世界各国と比較しても、清潔なほうに属しているといわれている。事実江戸時代以来大変清潔な民族だったことが、多くの記録に残されている。
 今日でも食器の洗浄や食物の取り扱い、衣類の洗濯、家屋・自動車などの掃除どれ一つをとってみても、清潔好きで、洗ったり磨いたり気を配っているのが分かる。平均的にみれば、清潔な部類に属する民族であることは間違いないだろう。
 これも観察すると、乾燥した砂漠の国の感覚と、高温多湿の国の感覚ではかなりの違いがあるようだ。一方が水気を避けるのに対し、もう一方はすべてを水に流してしまうといった具合で、考え方がまるで違う。

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