問題④ その年の正月2日、私と弟は父母に連れられ、
2020年11月1日 日常
その年の正月2日、私と弟は父母に連れられ、一般参賀に出かけた。皇居前広場はすでに多くの人々で溢れていたが、時間が経過するにつれ、その数はますます膨れ上がっていくようだった。あまりの人混みに、幼い弟はベソをかきはじめていた。危険を感じた父が「引き返そうか」と言っても、田舎育ちの母は「せっかく来たのだから…」と、まったく取り合おうとはしなかった。
ところが、二重橋の手前で行列は一歩も進まなくなっていた。後ろからは、さらに多くの人々が続々と押し寄せてくる。母は、ここにきて初めて事の重大さを知ったのだが、すでに引き返すには遅すぎたようだった。
大群衆の圧力はさらに強まり、私はもう後ろを振り返ることもできない。泣き声や怒号があちこちから上がっている。私たちは進むことも退くこともできなくなっていた。大人たちの尋常でない様子に、このまま死んでしまうかもしれない、と私は思った。
そのとき、急に私の視界が明るく開け、苦痛に歪んだ多くの人々の顔が、眼前に飛び込んできた。いつしか、私は見知らぬ男に抱き上げられていたのだ。精悍な顔つきをしたその男は、2年前に創設された保安隊の制服らしきものを着ていた。
ところが、二重橋の手前で行列は一歩も進まなくなっていた。後ろからは、さらに多くの人々が続々と押し寄せてくる。母は、ここにきて初めて事の重大さを知ったのだが、すでに引き返すには遅すぎたようだった。
大群衆の圧力はさらに強まり、私はもう後ろを振り返ることもできない。泣き声や怒号があちこちから上がっている。私たちは進むことも退くこともできなくなっていた。大人たちの尋常でない様子に、このまま死んでしまうかもしれない、と私は思った。
そのとき、急に私の視界が明るく開け、苦痛に歪んだ多くの人々の顔が、眼前に飛び込んできた。いつしか、私は見知らぬ男に抱き上げられていたのだ。精悍な顔つきをしたその男は、2年前に創設された保安隊の制服らしきものを着ていた。
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